モラトリアムをこじらせて、自転車で日本一周した話vol.2〜京都編〜

京都と聞くと、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか?1,000年の都、寺社仏閣、何百年と続く老舗などなど、格式高いイメージが多いはずだ。けれど、僕の中の京都は、ユルい、マイペース、クリエイターが多い、と一般的なイメージとはかけ離れている。

どうしてこうなったのか?それは僕が京都に、しかもちょっと特殊な京都に住んでいたからだ。僕が京都に住むきっかけは、ある自転車屋さんとの出会いだった。

vol.1はこちら。
モラトリアムをこじらせて、自転車で日本一周した話 vol.1

彦根から京都へ、スタンドは壊れたが、縁がつながった

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22歳の大学卒業の年、自転車日本一周の旅に出た僕は、東京を出発して、静岡、名古屋、岐阜、滋賀と走り、京都まであと半日の距離に来ていた。

ちょうど、彦根を過ぎたところからだろうか。変速機の調子がおかしくなっているのに気づいた。さっき自転車を倒した時の衝撃で壊れてしまったのかもしれない。

前後輪の両脇にパニアバックを付け、着替えやテントや寝袋を積み込んだ僕の自転車は荷物満載状態。総重量は自転車を合わせて50kgを軽く超えていたと思う。

そのため、荷物の重さに耐え切れず、出発2週間も経たずにスタンドが折れてしまったのだ。先ほど自転車を倒したのは、スタンドが折れたのと同時に起こったことだった。

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変速機の調子は良くなかったけれど、走れないほどではなかったので、僕はそのまま大津を過ぎ、大津を超えて京都にたどり着いた。

この時、僕の中の京都のイメージは、まだ「1000年の都、寺社仏閣」などの一般的なもので、完全に観光客と同じものだった。

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到着初日、僕はベタに清水寺を観光し、八坂神社に参って、京都市内をぶらぶらすることになる。くだんの自転車屋さんと出会ったのは、三条堀川の通りにある三条会商店街にさしかかった時だ。

ジョン・レノンのような不思議なおじさん

三条会商店街は全国的の中でも距離のある商店街で、アーケードの長さは約800m。通りの両側には約180もの店舗がひしめき、通りには観光客の姿はなく、ほぼ地元の人が、自転車や歩きで通りを往来していたのを覚えている。

頭の片隅には「変速機を直さなければ」という考えが残っていたのだろう。商店街の中ほどにさしかかった時に、自転車の姿が目に飛び込んできた。

「NATURAL CYCLE」と彫られた木の看板がかけられた白い漆喰の壁。
中を見るとログハウス風の内装の中にギチギチに並べられた自転車達が見える。自転車が並んでいなければ、カフェと言われても間違えてしまいそうな店の外観に興味を持ち、僕は修理がてらその自転車屋さんに立ち寄ることにした。

「こんにちは」。店の入り口から店の中に声をかけると、「こんにちはぁ〜」と低くゆっくりとした口調で、帽子をかぶり、白い天然パーマを伸ばしたおじさんが出てきた。

あごには無精髭、トレーナーに短パン。痩せ型の体型に、ジョン・レノンのような丸メガネ。そのラフすぎる格好と風貌は、間違いなく今まで出会ったことのない人だ。

この人が後に、僕が働くことになる自転車屋さんのオーナー、岸本さんだった。

後日撮らせてもらった岸本さん
後日撮らせてもらった岸本さん

「お茶飲みますか?」から「泊まって行きますか?」へ、話はトントン拍子に進んだ

当時、僕はTシャツと短パンで旅をしていて、手には指ぬきのサイクリンググローブをはめ、風呂は3日にいっぺん、という小汚いなりだった。
岸本さんは、僕の格好と表に止めてあった荷物満載のゴツい自転車を見て察したのだろう。「旅をしているんですか?」と質問された。

「奥にどうぞ」と岸本さんは言い、自転車屋さんなのに、なぜか奥にキッチンが付いているNATURAL CYCLEの事務スペースに通され、「お茶飲みますか?」という言葉から会話が始まる。そこから時間の流れは早かった。

自転車で旅をしていること、大学を卒業してすぐにこんなことをしていること、将来はぼんやりとだけどライターになりたいこと、そして岸本さんのことも多少聞かせてもらった。

岸本さんは常に敬語で、「〜ですよ」と話す。笑い方は「ふふふ」と含みのある笑いで、興が乗ると人さし指を立てて「ナイスですよ」と指を立てた手を数回振るのだ。僕は岸本さんと話しながら「おかしな人だなぁ」と思い、同時に風変わりなこのおじさんに興味をしめしていた。

店についたのは15時頃だったのに、話に夢中になっていると、時刻は夜になっていた。岸本さんは「うち、まかないあるんですよ。メシ食べて行きますか?」と聞く。僕はまだ岸本さんと話していたかったので、その言葉に甘えようと思った。

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店には岸本さんの他に2名のスタッフさんがいて、それぞれ「アオちゃん」と「巨匠」というあだ名をつけられているようだ。「アオちゃん」の名前は青山さん、「巨匠」の名前は西尾さんと言って、店に迷い込んだ珍客にも丁寧に接してくれた。

その二人も混ざって岸本さんと話していると、いつの間にか、時計の時間は9時を過ぎていた。長居するのも悪いだろう、「じゃあ僕はそろそろ行きます」と岸本さんに伝えると、「今日はどこに泊まるんですか?」聞かれ、「公園にテントを張ります」と伝えると、「うちにシェアハウスがあるから泊まってきなさい」と言う。

話を聞いてみると、NATURAL CYCLEには、倉庫兼社員寮のようなものがあって、青山さんや西尾さんを含め、5名ほどの人がそこで共同生活をしているそうだ。

最初は遠慮していた僕だけれど、岸本さんや青山さんに後押しされ、その日はシェアハウスに泊まらせてもらうことになった。
今夜の寝床はシェアハウスの共有部分だ。

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結論、「旅の恥はかき捨て」られない

それから僕は厚かましさを発揮した。泊まらせてもらって3日目の朝「このまま京都に住めないだろうか?」と考えてしまったのだ。

もともと僕は遠慮がちな人間だったけれど、なにぶん格好と自転車が目立つ。旅先で色んな人が声をかけてくれて、色んな施しをいただいたので、それに慣れてしまい、旅を続けるにつれて、次第に僕の厚かましさは増していった。

旅の恥はかき捨て、と言うが、旅を終えてしばらく経ったいま、当時のことを思い出してみると、恥ずかしさで悶絶しそうになる。

この厚かましさ、京都に住んでいた頃はまだそれほどじゃなかったのだけれど、最初は一泊のつもりが、「何泊していってもいいよ」という話になり、「このまま京都に住みたい」と考えたその日、僕は岸本さんに「このままシェアハウスにお世話になってもいいですか?」と言ってしまった。

岸本さんは最初は面食らった顔をしていたけれど、すぐに「いいですよ」と答えてくれて、そのまま僕は京都に住めることになった。

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滞在した期間は二ヶ月半。月の家賃は1万円。シェアハウスの部屋は埋まっていたから、畳敷きの共有スペースの一角のソファが僕のベッドだ。

その間僕は鴨川沿いにある歓楽街の先斗町の飲食店でバイトを見つけ、厳しい口調の店長に日々怒られながらお金を稼いだ。

鴨川に面した先斗町の飲食店は、夏の風物詩として納涼床を張り、そこで料理を出すけれど、見た目は涼しいが京都の夏はそれ以上に蒸し暑い。僕は暑苦しい表情で、汗をダラダラ流しながら、働きに働いた。

週5でシフトに入り、店長に怒られ、休みの日は自転車で京都市内を巡り、時たまNATURAL CYCLEに出向いて岸本さんに会いに行く。

個性的な岸本さんのもとには、音楽をやる者、演劇をやる者、建築家の卵など、これまた個性的な若者が集まっていた。僕は缶ビールを買ってきて、岸本さんや、その周りに集まる若者と夜遅くまで話し込んだのだった。

修学旅行の時に訪れて以来、京都のことは好きだったから、その生活は幸せだった。京都を離れることになるのは、二ヶ月半後、祇園祭が終わる7月半ばになってから。その後、僕は東京、東北を走ることになる。
(続く)

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WRITTEN BYスズキ ガク

1986年生まれのライター・編集ディレクター・元自転車屋の店員/ 大学を卒業後、自転車日本一周と、ユーラシア大陸輪行旅行を行う。 編集ディレクターとしての担当媒体は「未来住まい方会議 by YADOKARI

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