ジャパンカップ2017で有終の美! 熟練ジャーナリストが秘蔵写真で振り返るコンタドールの軌跡

ジャパンカップでコンタドールがラストライド

9月10日に終了したブエルタ・ア・エスパーニャを最後に、アルベルト・コンタドール(スペイン、トレック・セガフレード)が引退した。しかし、彼のラストランはブエルタじゃなかった。なんと、日本の熱いファンからのラブコールに応え、10月21日(土)に宇都宮の市街地で行われるジャパンカップ・クリテリウムを走るのだ。あらためてコンタドールの足跡を振り返るとともに、ジャパンカップ・クリテリウムの行方を占ってみたい。

インタビューに答えるコンタドール。まだ初々しい © Takashi NAKAZAWA
インタビューに答えるコンタドール。まだ初々しい © Takashi NAKAZAWA

2003年〜2006年|鮮烈なデビューと脳の病気で選手生命を失いかけた後の大復活

2003年、コンタドールは前年のスペイン選手権U-23タイムトライアル優勝という勲章を引っ提げ、スペインの強豪チーム「オンセ・エロスキ」からプロデビューを果たす。そして、同年のツール・ド・ポローニュでステージ優勝。早くもプロ初勝利を記録し、期待の若手として注目を集めるようになった。2004年にはリバティセグロスへ移籍し、前途洋々たる未来が待ち受けているように思われた。

しかし2004年5月12日、ブエルタ・アストゥリアスの第1ステージで突然意識を失って落車してしまう。直ちに病院に救急搬送されたが重体で、生死さえ危ぶまれた。検査の結果、脳の海綿状血管奇形という病気であることが判明した。直ちに開頭手術が行われ、幸い意識は回復したものの、通常ならここで選手生命は終わっていただろう。

2005年、ツール・ド・フランスに初出場したアルベルト・コンタドール(スペイン、リバティセグロス、当時) ©Takashi NAKAZAWA
2005年、ツール・ド・フランスに初出場したアルベルト・コンタドール(スペイン、リバティセグロス、当時) ©Takashi NAKAZAWA

しかし、コンタドールは違っていた。退院すると、すぐにトレーニングを開始し、翌2005年1月のツアー・ダウンアンダー第5ステージで優勝。さらに3月のセトマナ・カタラナでは総合優勝も果たし、見事に復活を果たしたのであった。そして、この年にツール・ド・フランスに初出場。特に山岳ステージでは上位に絡む活躍を見せ、31位で完走を果たしている。

2007年〜2015年|ツール初優勝からの黄金期とドーピングスキャンダル

2008年、アスタナ時代のコンタドール © Takashi NAKAZAWA
2008年、アスタナ時代のコンタドール © Takashi NAKAZAWA

 2007年、ディスカバリーチャンネルへ移籍すると、みるみると頭角を現し、ついにツール・ド・フランス初優勝を果たした。同時に新人賞のマイヨブランも獲得し、1983年のローラン・フィニョン(フランス)、1997年のヤン・ウルリッヒ(ドイツ)に続いて史上3人目のマイヨジョーヌ、マイヨブラン同時獲得を成し遂げた。

 2008年は自転車界を震撼させたドーピングスキャンダル「オペラシオン・プエルト」の余波を受けてツール・ド・フランス出場の道が絶たれたものの、急遽出場したジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たす。そして2009年、2年ぶりに出場したツール・ド・フランスでも2度目の総合優勝を果たし、名実ともにチャンピオンの仲間入りを果たした。

2008年のアスタナ時代、冬期のトレーニングキャンプで走るコンタドール © Takashi NAKAZAWA
2008年のアスタナ時代、冬期のトレーニングキャンプで走るコンタドール © Takashi NAKAZAWA

2008年、アスタナ時代のコンタドールの愛車「トレック・マドン」 © Takashi NAKAZAWA
2008年、アスタナ時代のコンタドールの愛車「トレック・マドン」 © Takashi NAKAZAWA

 その後、ドーピングスキャンダルに翻弄され、2010年のツール総合優勝のタイトル剥奪、さらに、サクソバンクへ移籍した2011年のジロ総合優勝のタイトルも剥奪されてしまう。しかし、これに腐ることなく常にチャンピオンらしく堂々と走り続けた。そして、2012年には2度目のブエルタ総合優勝、2014年には3度目のブエルタ総合優勝を果たし、さらに2015年には2度目のジロ総合優勝も果たしている。

2016年〜2017年|全盛期ではないものの、常に王者らしく堂々と存在感を示す走り

 2016年のツールには7年ぶりの総合優勝を目指し、万全の体制で乗り込んできたが、第1、第2ステージでの不運な落車が影響し、第9ステージでリタイヤに追い込まれている。しかし、その立ち振る舞いは常にチャンピオンらしく堂々としたもので、どのステージでもレースの話題の中心にいた。続くブエルタでも調子が上がらず、総合4位に終わってしまったため、いったんは2016年限りでの引退を考えていたものの、2017年まで現役続行することを表明した。

2017年はトレック・セガフレードに移籍し、相性の良いトレックのバイクで再びグランツール制覇を目指す。しかし、さすがに年齢的な衰えには抗うことができず、山岳ステージでは総合優勝したクリス・フルーム(イギリス、チームスカイ)の後塵を拝することとなった。ただし、その走りは相変わらずチャンピオンの風格に溢れ、特に第13ステージではその果敢なアタックが認められ敢闘賞を獲得している。総合成績は9位だったが、記録よりも記憶に残る走りを見せたところは、さすがにチャンピオンだ。

2017年のツール・ド・フランスは、総合9位だった ©A.S.O.
2017年のツール・ド・フランスは、総合9位だった ©A.S.O.

ツール終了後、コンタドールは自身のブログで「続くブエルタを最後に引退する」ことを表明。有終の美を飾るべく、再び万全の体制を整えて最後のグランツールに乗り込んできた。しかし、ツールで優勝したフルームがブエルタ制覇をも本気で狙って乗り込んできたため、当初から苦戦を強いられる。それでもコンタドールはどのステージでも果敢にアタックを繰り返し、常にチャンピオンらしい走りを見せてくれた。そして、ついに第20ステージで区間優勝を果たし、有終の美を飾るのに十分な活躍を見せてくれたのであった。

そして今、日本のファンの熱烈なラブコールに応える

コンタドールが宇都宮にやってくる。ぜひ、最後の勇姿を目撃しよう! ©Trek Bicycle
コンタドールが宇都宮にやってくる。ぜひ、最後の勇姿を目撃しよう! ©Trek Bicycle

本来、コンタドールはブエルタを最後にバイクを降りて引退する予定だった。しかし、日本のファンからの熱烈なラブコールに負けて、ジャパンカップ・クリテリウムを本当の引退レースに選んだのである。そこには、別府史之(日本、トレック・セガフレード)のジャパンカップ・クリテリウム3連覇を手助けしたいという気持ちも働いたのだろう。

昨年引退したファビアン・カンチェッラーラ(スイス、トレック・セガフレード、当時)も、ジャパンカップ・クリテリウムを引退レースに選んでフミをアシストし、彼のジャパンカップ・クリテリウム2連覇を演出している。今年、コンタドールのアシストでフミが3連覇を果たせば、これこそ記憶に残る引退レースになるのではないだろうか? いずれにしても、偉大なチャンピオンの最後の走りを見られるというのは、本当に貴重なことだ。10月21日は、ぜひ宇都宮に足を運ぼう!

Top photo:2017ブエルタは、総合5位でフィニッシュした © Unipublic

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WRITTEN BY仲沢 隆

仲沢 隆 自転車ジャーナリスト。早稲田大学大学院で、ヨーロッパの自転車文化史を研究。著書に『ロードバイク進化論』『超一流選手の愛用品』、訳書に『カンパニョーロ −自転車競技の歴史を“変速”した革新のパーツたち−』がある。

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