こんにちは、FRAME編集部です。
関東・関西に住んでいる方からすると少し遠い鹿児島。
もし鹿児島をサイクリングしようかな、と思ったらこの記事を参考にしてもらえればと思います。
今日は指宿まで89kmを走ります、途中に峠が二ケ所あるこの旅の再難関のルートです。獲得標高も約1,000mと、天気予報もあまり好くなく途中で雨に遭いそう。
サンデイズイン鹿児島。メンバーの橋本さんの朝食こだわって予約したホテル、サンデイズイン鹿児島:鹿児島の繁華街最大客室数のホテル。
天文館のど真ん中に鹿児島市最大規模351室、奄美鶏飯や黒豚カレーが大人気の朝食バイキングは満足。
昨夜は美味しい黒豚と文館通りにすごい路上ライブの女の子がいる。「加藤隼戦闘隊」~~~♪次に「空の神兵」♪~~~すごいギターを片手に楽譜を見ることもなく軍歌を歌う。更に歌も抜群に上手い、大盛り上がりで天文館を満喫。
峠を上ると小雨が降って着ましたここから知覧まで嬉しい下り。
知覧に入る前に可愛い石の橋を見つけ休憩。
武家屋敷に到着このあたりから雨も本降り雨具を着て見物。
地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせ。
知覧型二ツ家民家
鹿児島独特の建築様式と言われ、居住用の間をオモテ、台所や囲炉裏のある部屋をナカエと言い、別々に棟を上げていました。別棟の分棟式民家では、生活上不便が多かったので次第に棟を近づけて家を建て、その軒先を大きな雨樋でつなぐという、樋の間二ツ家へと変わった。
知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れています。
富屋食堂、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂。
鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真をおりまぜ、当時の場所に再現されたものです。
隣接する富屋旅館は、戦後昭和27年、遺族を知覧に泊めるために作られたもの
高倉健主演のホタルはこの富屋食堂を背景に描いた映画。
特攻隊員勇士の像があります。右手は握手を求める形で平和を表します。左手は軍刀に手をかけ、こぶしを握っています、私がこのサイクリングの旅で一番訪れたい場所「知覧特攻平和会館」写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されています。
行ったことのある人たちから事前に聞いてはいましたが、やはり涙なしでは見れませんでした。今の若者がいかに恵まれているのか、ぜひ立ち寄って自分がいかに恵まれているのか見つめ直してほしいものです。
知覧特攻会館で見学している内に雨も上がり池田湖を目出します。遠くにあの日、多くの若い特攻隊員を見送った開聞岳は今も変わらずたたずんでいます。標高924メートル「薩摩富士」とも呼ばれ、その美しい円錐形の威風堂々たる姿がとても美しい。今日は雨上がりの為かとても悲しそうでも私達の為に姿を見せて最後まで頑張れと応援しているようです…
この辺りから道に迷い茶畑の中を右往左往して走ります、でも楽しい思い出。
峠を越えて池田湖に到着。直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形のカルデラ湖。九州最大の湖である。
池田湖と言えばイツシー。1978年9月3日には指宿市池崎地区の住民約20名によりイッシーが目撃され、全国で報道されたため有名となる。湖に生息する市天然記念物のオオウナギは体長が2mに達する個体もあり、これが正体ではないかとも言われている。イッシーの正体は今も不明のままの神秘的な湖でした。
指宿駅に到着。JR日本最南端の有人駅、実際には西大山駅がJR最南端の駅であるが無人駅の為に指宿駅が有人駅ではJR最南端と表示していました。
地方都市は何処でも同じ駅前の商店街は寂れています。今晩は砂風呂会館まえの民宿せきちょう早速砂風呂には入りに行きます。(砂風呂初体験)
・転載元記事
鹿児島~知覧~池田湖~指宿 サイクリングの旅
(還暦から始めたロードバイク)