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自転車は免許制にすべきなのか?
テレビのニュースなどで最近よく槍玉に上がるのが「自転車のマナー」。逆走・突然の飛び出しなど、自転車の危険運転映像が放送され、「交通ルールを知ってもらうためにも、自転車もいったん免許制にしたほうがいい」という意見が目立ってきているようです。
FRAME編集部では、日本で一番自転車乗りの権利を考える*自転車活用推進研究会事務局長の内海さんに、免許制についてどう思うか聞いてみました。
内海さんの回答
以下が内海さんの回答です。あなたはどう思いますか?
プロドライバーに多い免許制待望論
かつてないほど自転車が人気を博したことによって、車道へ出てきて適当な運転をする人も増えたので、バスやタクシーなどのプロドライバーからは免許制にしてルールを守らせるよう要望する声が日ごとに増している。自転車通勤者が増えるのは医療費削減にもつながるので素晴らしい話だが、ルールを守らない人ばかりが増えてしまっては困る。
毎年、東京サイクルデザイン専門学校の1年生に「自転車のルールを守ってもらうために何ができるか」というテーマで議論してもらっているが、何も言わないと必ずトップに上がるのが免許制にすべきという案である。ようやく国が本腰を上げて、自転車の利活用を推進しようと法律を作って施行したばかりなのに、イソップ寓話「北風と太陽」の例えにあるように、厳しい北風政策を取れば利用者が減ってしまうだろう。
また現実問題として文字も読めない幼児にまで試験を課して免許証を交付するのは不可能だし、世界中を見渡しても自転車の運転に公的な免許証を必要とする国はない。
大いなる手間と費用をかけてまで免許制にしなくては、もはやこの国は立ち行かないのか。皆さんと一緒に考えたい。
なぜ適当な運転をするのか
そもそも、なぜ自転車利用者は自分中心の適当な運転をしてしまうのか。その一因は取締りがない(あっても緩い)からだろう。
深夜の交差点で赤信号を守って止まる自転車は稀だ。信号待ちをしている脇を不思議そうな顔をして通り過ぎていく人の多いこと多いこと。彼らは信号待ちをする我々を、どう思っているのだろうか。恐らくは「バカだなあ。自転車は信号無視なんかで捕まらないのに」といったところだろう。
日本人の精神構造は欧米人のそれとは異なり、自分の中に神はいない。何をしても神が見ていると思えば嘘は大罪だが、お上が見ていなければ、とことん自分に甘くなってしまうのが日本人。
クルマのドライバーも褒められたものではなく、最近は黄色信号で加速するどころか完全に赤信号になってから交差点に入るクルマが非常に多くて目に余る。ある友人に言わせると日本人の質の劣化だと言うけれど、そうは思わない。恐らくは忙しすぎて心を亡くしているだけなのだ。
別の見方をすれば、徹底した交通教育がなされて来なかったからとも言える。最近になって自転車安全教室に参加した子どもたちは「自転車は原則車道」や、「車道は左側走行」と教わったかもしれないが、実際に街へ出てみると警官でさえ歩道通行している現状を見て大人たちは嘘つきだと思うだろう。守らなくてもいいんだと思わせてしまっている可能性がある。
頭の柔らかい子どもの頃にしっかりと刷り込んでおく必要があるのに、混乱させてしまってはいけない。まずは子どもたちへの教育から再出発させる必要があるが、「今の大人たちはルールを知らずに大きくなってしまったから、君たちからも教えてあげて欲しい」と言葉を添えた方がいい。
もしかするとルールは知っているが守れないだけなのかもしれない。自転車も車道の左側を通行することは知っているが、実際は怖いので歩道を通行してしまうとか、右側通行は逆走だと知っているが前方からくるクルマがよく見えた方が安心だから逆走してしまっているのかもしれない。どこをどうやって走るのか知らなければ教えれば済むが、知っていてできないのはインフラに問題がある。安心して走れる環境作りを一歩ずつ順番に進めて行く必要がある。
どうすれば改善するだろうか?
まさに今、改善策が必要とされている。免許制は効力を発揮するだろうが、利用者を減らしては元も子もない。それよりも先にやるべきことがあるはずだ。
原因が分かれば対処もできる。
いつも書いていることだがポイントは3つの柱で①取締り、②教育・広報、③インフラの整備。この3つで現状を打破できると思っているが、最も即効性があるのが①の取締りである。日本人の精神構造を考えると、お上が目を光らせてくれることが一番手っ取り早い。
なぜ、自転車は赤信号で止まらないのにクルマは止まるのかを考えて欲しい。2輪しかないからバランスが取りづらくて? いやいや、それならばオートバイも止まらないはずだが実際にはきちんと止まっている。では免許証が減点されるから? 免許がなくても取締りがあって罰金が適用されると分かれば自ずと違反は減るだろう。
せっかく14項目の危険行為を定めたのだから、実際に摘発すればいいだけの話。道交法を改定してから丸2年も経ったので周知期間は十分だろう。
それでも手が足りないのであれば権限を自治体に渡せばいい。警らの巡査たちが捕まってしまうからダメ? 何をか言わんやである。できない理由を挙げてやらないのは能力が足りないと認めることになる。優秀な警察官僚であれば、できる方法を考える能力が備わっているはずだ。
これまで野放しにしてきたツケが回ってきたせいで他の事故原因に比べると自転車事故の減り方は少ない。一方で自転車活用推進法の附則第三条に道交法の違反者への対応について、政府が在り方の検討を要請できると書いてある。政府から言われてやるのと自ら進んで対応実績を積むのと、どちらがいいかを考えるべき時期に来ているのではないだろうか。
太陽政策としては何が考えられるか
北風政策が利用者を減らしてしまうのであれば、規制や取締りも長期的には利用者を減らしてしまう危険性をはらむ。
ルールを遵守しつつ自転車を利用してくれる人を増やすためには継続的なモチベーションがなければダメ。やり方は色々あると思うが、例えば、一般の方を対象にした自転車安全教室に参加するとTポイントカードやポンタカードなどから選択できてポイントをもらえるといったインセンティブがあれば具体的なメリットとなって人は動きやすい。
また、公共サービスだからと全部入りにする必要はなく対象者が限定されていたって構わない。全国民に恩恵があるよう設計する従来のやり方では限界があるから、自活法が施行されたいま、思い切ったアイディアが求められている。他人事ではなく自分事にしてもらうためにも直接メリットが感じられる方法でルール遵守を促せないだろうか。
いいアイディアがあれば、ご教示願いたい。
新たな既得権益を生まないためにも
公安委員会を含む警察組織に免許制度を依存している以上、自転車も免許制となれば新たな利権を生んでしまう。
とある高名な学識経験者でさえ、免許制の必要性を声高らかに語っているけれども、それが果たして国民全体にとって幸せなのだろうか。免許制を最後の切り札として取っておくことに異存はないが、試行錯誤の末に刀折れ矢尽きてという状態ならばいざ知らず、結論ありきで闇雲に突き進む前に今一度、他にできることがないか検証すべきだろう。
日本人の優秀さ、ポテンシャルの高さは我々自身が最もよく知っている。免許制にしなくたって自転車の運転は今より安全にできるはずだ。もっと同胞たちを信じるべきだろう。
ルール遵守が進めば自転車に対する風当たりも弱くなって免許制が取り沙汰されることもなくなるに違いない。手っ取り早く制度を作っておしまい、では余りに短絡的で本質が改善されることもないだろう。ひとりひとりが交通参加者としての自覚を持ち、安全運転の意識を持たない限り表面的な解決策しか出てこない。まずは優先順位を決め、優先度の高い施策から実際に始めることだ。
いつ始めるの? 今でしょう。自活法施行直後の今こそ最大のチャンスである。
ご意見お待ちしております
いかがでしたでしょうか。この内海さんの意見に対する異論、反論、同意など、ご意見お待ちしております。