岐阜県は戦国時代、斎藤道三や織田信長、武田信玄といった名だたる武将が覇権を争った地域で、「美濃※を制すものは天下を制す」という言葉があるほど。
※現在の岐阜県南部
なかでも関ケ原は徳川家康が戦乱の世を終結させた「関ケ原の戦い」で知られ、まさに「戦国のメインステージ」といえるでしょう。
しかし、古戦場を観光するというのはあまりピンとこない人も多いのではないでしょうか。
今回は、歴史好きはもちろん、あまり詳しくない人でも楽しめる、関ケ原の魅力を余すことなくご紹介!さらに、サイクリングコースや絶品スイーツなど、自転車ならではの楽しみ方も盛りだくさんでお届けします!
岐阜県の主催するプレスツアーに参加したのは、ライターのスガ!マラソンとロードレースが大好きな現役大学生です。大学では日本の古典文学について学んでおり、日本の歴史に幅広く興味があります!
目次
岐阜関ケ原古戦場記念館
岐阜県では地域一帯の観光促進のために「関ケ原古戦場グランドデザイン」を設定し、史跡の整備やPR活動を行っており、その拠点施設として令和2年10月にグランドオープンしました。
関ケ原の戦いについて学び、体験できる施設であり、関ケ原観光の際にはぜひ最初に立ち寄っていただきたい施設です。
岐阜関ケ原古戦場記念館
- 料金 一般500円/高校生・大学生300円/中学生以下無料
- 開館時間 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
- 休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12/29〜1/3
1階映像展示は事前予約の方優先。予約はこちら
LINK:岐阜関ヶ原古戦場記念館
大迫力の映像で関ケ原の戦いを体験!
1階のグラウンド・ビジョンでは、関ケ原の戦いの背景から本戦までの流れを、講談師・神田伯山氏のナレーションとともに床面スクリーンで俯瞰。西軍(石田三成陣営)と東軍(徳川家康陣営)の両軍が色分けされており、関ケ原の戦いがなぜ始まり、どのように経過したのかを分かりやすく学ぶことができます。
次に、シアターでは本戦に焦点を当て、関ケ原の戦いの初めから終わりまでを将兵の視点で鑑賞。振動・風・光・音の演出により、まるで戦場に紛れ込んだかのような大迫力の映像体験をすることができます。
それぞれの武将のキャラクターや心情が描写されており、ついつい感情移入してしまいます。自分の「推し武将」を見つけるのも良いですね!
ちなみに、関ケ原の戦いに詳しい小和田哲男氏(館長・静岡大学名誉教授)によると、「日本人は判官贔屓な性格のため、西軍の人気が高い。特に石田三成と大谷吉継の人気は高く、最近では漫画やゲームなどのキャラクターとしても人気なようです。」とのこと。
関ケ原を学ぶ、戦国体験コーナー
展示室では、戦国時代の武具や書状を展示しています。
関ケ原の戦いに関する資料の多くは既に他の博物館に所有されている場合が多く、新しい博物館が実物を収集することは難しい現実があります。しかし岐阜関ケ原古戦場記念館では、戦に関わった武将の子孫から寄贈していただいた貴重な資料も展示されており、迫力のある展示を楽しむことができます。
数ある展示の中でも、特に人気なのが戦国体験コーナー。武具を実際に触ることができたり、関ケ原合戦図屏風を背景に無料で写真撮影ができます。実際に武具を持ってみると、想像以上に重いことや扱いの難しさに驚かされます。
レンタサイクルは2ヶ所
シティサイクル(普通自転車)、電動アシスト付き自転車、子ども用自転車から選ぶことができます
レンタサイクルは駅前の観光交流館、記念館1階の広域観光情報コーナーにて申し込むことができます。秋は利用者が増えるとのことなので、事前に予約をしておくと安心ですね。
詳細は関ケ原観光ガイドをご参照ください。
レンタサイクル
- 受付時間
- 関ケ原駅前観光交流館 9:00〜17:00岐阜関ケ原古戦場記念館 9:30〜17:00
- 料金
- 普通自転車
半日(4時間以内)660円(税込)、1日(4時間以上)1,210円(税込) - 電動アシスト付き自転車
半日(4時間以内)1,210円(税込)、1日(4時間以上)2,310円(税込)
- 普通自転車
LINK:関ケ原観光ガイド
関ケ原へいざ出陣!
記念館の5階は関ケ原古戦場全体を360度見渡すことができる展望室になっています。それぞれの史跡には大きな幟の目印があり、案内板もあるため、ここで行き先の検討をつけると良いでしょう。
歴史の舞台に実際に足を踏み出せるワクワク感を胸に、いざ出陣!
開戦地
豊臣秀吉の死後、豊臣政権を維持したい家臣たちと、「天下は力ある者のもち回り」と考える徳川家康との間で対立が深まりました。家康が会津(現在の福島県)へと攻め入るために大阪を離れたのをきっかけに、豊臣家を支持する石田三成は打倒家康の決起を呼びかけました。これにより、全国の武将を巻き込んだ「関ケ原の戦い」に発展することになります。
9月15日の朝、霧の立ち込める関ヶ原に、両軍合わせて約16万の兵が集結しました。
朝8時ごろ、東軍の松平忠吉・井伊直政らによる銃撃により、ついに戦いの火蓋が切り落とされます。この時、東軍で先陣を任せられていた福島正則は「抜け駆けだ!」と激昂し、西軍の宇喜多秀家隊へと突っ込み、これをきっかけに各所で戦いが始まりました。
兵力では西軍が上回っており、開戦直後は両軍奮闘していたものの、両軍ともに気がかりなことがありました。松尾山に布陣している小早川秀秋隊が動かないのです。小早川隊の勢力は1万5000と戦況を一転させる戦力を抱えており、両軍ともに決断を急ぐよう催促を繰り返しました。
その時、当初は西軍と考えられていた小早川隊が突如として西軍・大谷吉継隊へ攻撃を開始します。これが有名な「小早川の寝返り」です。大谷隊は小早川隊の寝返りを予想しており、一旦は持ちこたえたものの、他の西軍の陣営も寝返りが続いたため、大谷吉継はその場で自刃、西軍は総崩れとなりました。
小早川の寝返りが決定機となり西軍は敗走、開戦からわずか6時間で決着がつきました。
徳川家康最後陣地
記念館のすぐ隣にあり、一番アクセスが良いのが徳川家康最後陣地です。
かつては関ヶ原の史跡の多くは整備されていませんでしたが、関ケ原グランドデザインの一環として史跡の整備、案内板の設置などが行われました。案内板には赤と青の2種類があり、赤は東軍関連、青は西軍関連であることを示しています。
東軍大将・徳川家康は当初、戦場の東端の桃配山に布陣していましたが、戦況を把握するためにこの地に本陣を移し、前線で全軍を指揮しました。
戦いに大勝した家康はこの地で「えい、えい、おう!」と勝ち鬨をあげました。また、論功行賞の判断材料とするための首実験※を自らおこなったといわれています。
※討ち取った敵将の首を、本人のものであるか確認すること
なお、家康はこの地から、小早川に決断を促すための威嚇射撃をおこなったというエピソードがありますが、現在ではそのような行為はなかったとする説が有力です。
石田三成陣跡
西軍大将・石田三成が布陣していたのが笹尾山。戦場の北端の高台に位置し、交通の要所・北国街道を押さえる絶好の陣地でした。
当初は獅子奮迅の戦いぶりで東軍を押し返していましたが、前方に布陣していた名将・島左近の負傷脱落により均衡が崩れます。そして西軍の主要勢力であり三成の盟友である大谷吉継が自刃したことにより、西軍の敗走は決定的となりました。
三成は再起を期して敗走、自分の領地内に潜んでいましたが、約1週間後に捕縛され、処刑されました。
三成は、処刑の直前に差し出された柿を「喉に悪い」という理由から食べなかったという有名なエピソードがあります。処刑場の兵が「すぐ処刑されるというのに、今さら身体を気づかってどうする」と笑ったところ、「大義を思うものは、首をはねられるその瞬間まで命を大切にするものだ」と答えたといい、三成が強い信念を持った人物であることが伺えます。
島津義弘陣跡
島津義弘隊はこの地から北西約250mの地点に布陣していましたが、島津家の地元・鹿児島の人々の先人の偉業を讃える思いから、この地に島津義弘陣跡の史跡が整備されました。石碑に使われている巨石は、鹿児島から運んできたといわれています。
島津義弘は西軍として1万5000の兵を率いて参加していましたが、「今日の儀は、面々切に手柄次第に相働くべく候」(今日の合戦は、各々が好き勝手に手柄を立てられるよう戦いたい)として勝敗が決するまで積極的に攻撃に出ることはありませんでした。
西軍の各隊が敗走をはじめ、東軍では勝利の勝ち鬨が響きはじめたころ、島津隊は突如として東軍諸隊の群がる正面に突撃します。これは「捨て奸※」と呼ばれる戦法で、おめおめと敗走するわけにはいかないという島津隊の気概を感じさせます。この戦法により島津隊は伊勢街道へと脱出、薩摩へ帰還することに成功しますが、無事辿り着いた兵は80程度だったといわれています。
※退避する途中で隊の中の少数の兵が敵軍を足止めして時間を稼ぎ、本隊を逃す戦法。トカゲの尻尾切りのようにして死ぬまで戦う必死の戦法であり、猛烈な敵中突破の最中に義弘は甥・島津豊久を失っている。
現在では、鹿児島の子どもたちが島津軍の帰路の一部を歩き、先人に思いを馳せる「関ケ原戦跡踏破隊」というイベントも開催されています。地元に愛された武将であることが良く分かりますね。
決戦地
三成の本陣・笹尾山の程近く、多くの諸隊が壮絶な争いを繰り広げた場所がここ決戦地一帯です。
小早川の寝返りによる、西軍の主要戦力・大谷吉継隊の壊滅は西軍総崩れの大きな要因となりましたが、大谷吉継は現在でも非常に人気のある武将の一人です。
大谷吉継は豊臣秀吉に才能を認められ、抜擢された非常に優秀な武将でした。しかし、皮膚病の進行のために顔を白布で覆い、関ケ原の戦いの時点では視力を失うまでに病状は重かったといいます。
三成との親交は深く、挙兵を打ち明けられた際、再三にわたって「無謀で勝機なし」と説得しますが、その決意に打たれ、不利を承知で三成に尽くすことを決めました。
重病の身でありながら前線で戦い、一時は善戦するなどさすがの軍才を発揮しますが、寝返った諸軍を前に成す術なく、自ら命を落とします。吉継の仁義厚い性格、美しい散り際に加え、三成との友情を伝えるエピソードの数々は吉継の人気を物語っています。
まるで戦場!?関ケ原ウォーランド
約一万坪の広大な敷地に、実物大のコンクリート像のジオラマが広がります。関ケ原の地形が再現されており、敷地内を散策しながら実際の武将の布陣を確認することができます。
講話室では都合が合えば、名物館長・西村さんの講話を無料で聞くことができます。分かりやすく、楽しく関ケ原の戦いについて学べますよ!
関ケ原ウォーランド資料館
- 営業時間 10:00~16:00(冬季12~3月は15時まで)
- 料金 大人500円 子供300円 (関ケ原風鈴まつり開催期間中は入場料が変わります)
LINK:関ケ原ウォーランド資料館
また、レストランや物販店が隣接しているため、休憩やお土産の購入にもオススメ。鉄板焼きレストラン「天満」では、近江牛のステーキを堪能することができます。
LINK:鉄板ダイニング 天満
笹尾山交流館で甲冑体験
笹尾山交流館は、石田三成陣跡から程近く、岐阜関ケ原古戦場記念館から徒歩10分程度の場所にあります。ここでは観光情報の提供のほか、甲冑体験をすることができます!
甲冑は足軽甲冑からプレミアム甲冑まで、4種類から選ぶことができます。スペシャル甲冑とプレミアム甲冑は、関ケ原の戦いに参戦した武将の甲冑から選ぶことができるため、筆者は今回、プレミアム甲冑を選びました!
専用の作務衣に着替え、スタッフの方に装束を着付けしていただきます。
鎧をつけるとかなりの重量があります。特徴的な数珠飾りは誰の甲冑でしょうか?
兜を被れば着付けは完了!正解は本多忠勝の甲冑でした。総重量は約10kgで、兜はかなりの重さを感じます。
みんなで記念撮影!体験時間は90分あるので、甲冑姿で史跡を巡ったり、レンタサイクルを利用することもできます。ぜひ家族や友人と訪れたいですね。旅行中のサプライズプレゼントとして予約される方も多いようです。
ちなみに、一番人気は石田三成の甲冑で、女性人気が高いとのこと。やはり、西軍の人気が伺えます。
水の都・大垣
大垣は関ヶ原から電車で2駅、車で30分ほどに位置し、ターミナル駅であるため宿泊施設や飲食店が充実しています。
大垣は「水の都」として知られ、市内のあらゆるところで良質な地下水が自噴しています。かつては各家庭で庭に水を汲む井戸があったとか。
八幡神社の境内にある「大垣の湧水」にはその美味しい水を求めて、多くの人が水を汲みにやってきます。筆者も実際に飲んでみたところ、とてもひんやりしていて気持ちがいい!サイクリングの途中に、ボトルを補充するポイントとしてもオススメです!
※湧水は多くの人が利用するため、井戸に身体を浸したり長時間占有する行為は避けましょう。また、駐車場の無い場合が多いので、近隣の迷惑にならないよう気をつけましょう。
大垣ではその豊富な水を活かしたスイーツが有名。大垣の老舗・金蝶園総本家では冷たい水まんじゅうを味わうことができます。水に強いわらび粉を混ぜることによって、弾力のある食感となっています。プルプルというよりもモチモチとした食感で、氷のシャリシャリ感と相まってとても美味しいです!
LINK:金蝶園総本家
大垣城
大垣城は天文4年(1535)に宮川安定によって創建されたといわれ、江戸時代の改修によって4層4階の天守となりました。この作りは珍しく、とても美しい印象を与えます。
関ケ原の戦いでは、石田三成が西軍の本拠地とし、当初は大垣城決戦が想定されていました。三成が関ケ原へと進軍したことによって大垣城決戦は免れましたが、西軍の敗走後も大垣城では攻防戦が繰り広げられ、1週間後に開城するまで壮絶な籠城戦が繰り広げられました。
現在大垣城天守の内部は博物館となっており、甲冑や武具の展示のほか、関ケ原の前哨戦である、杭瀬川の戦いの様子をジオラマで学ぶことができます。
南宮大社
美濃の一宮として、朱色の立派な社殿が美しい南宮大社。
御祭神である金山彦命は火の神様であり、美濃は「関の刀鍛冶」などで知られる鉄鋼業の盛んな地域であるため、全国の鉱山・金属業の総本山とされています。
関ケ原の戦いの戦火により建物は消失してしまいますが、三代将軍・徳川家光の乳母であった地元出身・春日局の願いにより1642年に徳川家光が再建しました。社殿や楼門の建設には、日光東照宮の建設にも関わった名工によるものと伝わっています。
御神木は白玉椿で、春には広い境内一面に美しく咲き誇ります。
気分は戦国武将!史跡をめぐるサイクリングコース
ここまで関ケ原・大垣の名所をご紹介してきましたが、いかがでしたか?ここでは、史跡・名所をめぐるオススメサイクリングコースをご紹介します!
決戦!関ケ原コース
関ケ原古戦場をぐるっと一周するコースで、距離は11.5kmと初心者にも優しいのが特徴です。
徳川家康最後陣地、決戦地、開戦地など、主要な史跡を巡るほか、古戦場を一望する笹尾山、小早川秀秋が布陣した松尾山、大谷吉継の墓へは自転車を降りてハイキングするなど、時間と体力に応じて楽しめます。
▶ 「決戦!関ケ原コース」
出陣!東西進軍コース
関ケ原から大垣までを往復するコースで、関ケ原決戦前夜から当日朝にかけての東西両軍主力部隊の動きを追体験することができます。距離は40kmのため、スポーツバイクでのチャレンジが良いでしょう。記念館のHPでは、パンクなどのトラブルの際にサポートを受けることのできる自転車店が記載されています。
▶ 「出陣!東西進軍コース」
コースは全5種類
上記以外にも、関ヶ原サイクリングガイドマップでは全5種類のコースが紹介されています。一番長いものでは100kmを超えるコースも!自分の脚力、行きたい名所に合わせてコースを選んでみてくださいね。
▼関ケ原七武将物語のサイクリングコースの詳細はこちら
西美濃は新たなサイクリングの聖地!?
関ケ原や大垣は、岐阜県の中でも「西美濃」と呼ばれる地域で、「西美濃再来るツーリズム」といったキャンペーンを展開。
自然に恵まれたこの地域では、サイクルトレインや道の駅、走りやすい道路を活用したサイクルツーリズムが楽しめます。
サイクルエイドステーションには、バイクラックや空気入れ、修理工具を設置しており、休憩場所として利用することもできます。この地域の特産であるお茶や柿を楽しむグルメライドもオススメ!
今回紹介した観光名所を巡るコースのほかにも、ヒルクライムや四季の自然を楽しむコースなど多彩なルートが設定されているため、ぜひチェックしてみてください!
▶ 「西美濃サイクルツーリズム」
岐阜羽島駅には2022年4月に体験型サイクルステーション「BLOCK47」がオープン。「自転車を楽しみ・食を楽しみ・新たな出会いを楽しむ♪」をテーマにカフェやレンタサイクルを利用することができます。
※BLOCK47の特集記事は近日公開予定!
そして、意外と知られていないのが、関西へのアクセスの良さ。高低差が少なく、琵琶湖を目指すライドイベントも開催されています。
▶ 「BLOCK47」
関ケ原は通過点ではない!
関ケ原は絶大な知名度を持ちながらも、目的地への通過点として立ち寄る人は少ないという課題がありました。しかし、県を挙げて環境を整備した結果、魅力的な観光地となりつつあります。そして来年度にはHNK大河ドラマ「どうする家康」が放送されるため、ますます盛り上がることが予想されます。
歴史好きはもちろん、そうでない人もぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか!
大関ケ原祭2022
開催期間 2022年10月8日〜10日
「大関ケ原祭」は例年県内外から延べ約2万人が来訪する大人気のイベントで、今年は3年ぶりの開催となります。岐阜関ケ原古戦場記念館が開館してから初の開催となるため、様々な催しが企画されています。
3日間を通して、岐阜関ケ原古戦場記念館にプロジェクションマッピングを投影する「歴史絵巻 プロジェクションマッピング」を開催。天気が良ければ、満点の星空との共演を楽しむことができます。
2日目にはかつて徳川家康を演じたこともある俳優・松平健さんをお招きしての関ヶ原トーク「将軍!徳川家康を語る」が開催されます。記念館館長の小和田哲男氏、俳優の竹下景子さんとのトークセッションは大注目です!
3日目には大人気インフルエンサー・山之内すずさんを招いた「ときめき!関ケ原講座」が開催。歴史に詳しくない人でも、山之内すずさんと一緒に楽しく日本の歴史について学ぶことができます。
上記以外にも、野外朗読音楽会や東西クイズ対決、パンマルシェなどの楽しいイベントが盛りだくさん。気になった方は公式HPをチェックしてくださいね!
▶ 「大関ケ原祭2022」