自転車は交通弱者なのか?
date : 2017.06.17 update : 2017.08.16

FRAMEでは毎週、FRAMEのSNSアカウントに寄せられた意見を取り上げ、自転車活用推進研究会の内海局長とともに、自転車乗りの義務と権利を考える連載を行っております。今回のお題は「自転車は交通弱者なのか?」

この件について、内海事務局長に意見をお願いしたところ、次のようなエッセイをいただきました。

=以下エッセイ=

走行空間の推移に関する歴史の話

高知市内(1961年)

高知市内(1961年)

 ご存知でない方のために自転車の走行空間の推移に関して歴史を紐解くと、1960年の道路交通法(以下、道交法と略)施行から10年間は車道通行のみとされていた。当時、ある知人が歩道を自転車で走っていて警察官に違反切符を切られたそうだ。

ここに1961年の高知市で撮影された一枚の写真がある。車道にクルマの姿はなく、自転車は車道の左側を走り、遠くに路面電車が写っている。LRTが街中を走る現代ヨーロッパの風景にも似ているが、日本にもこのような時代があったのだ。二人乗りは見逃すのかって? 若い二人だ。無粋な話はやめておこう。
 
その後、俗に言う交通戦争が起きてクルマとの接触事故が増えたので1970年、緊急避難措置として歩道通行を認めた。さらに1978年には歩道通行できる要件を決めて普通自転車(全長1.9m、全幅0.6m以内)という規格と自転車歩行者専用の標識を設け、なし崩し的に歩道通行を容認して歩行者と共存させることにした。2007年にはダメ押しの例外規定まで追加し、長らく自転車は歩道通行が交通参加者共通のコンセンサスだった。

ところが2011年に警察庁は各県警察に向け「良好な自転車交通秩序の実現のための総合対策の推進について」というタイトルで自転車の車道通行徹底を通達した。それで今は歴史的な揺り戻しが起きている。後年あれが歴史の転換点だったと振り返る時が来るかもしれない。

若くて元気な日本人も高齢化した

歩道の交通弱者は誰か、考えてみよう

歩道の交通弱者は誰か、考えてみよう

 この半世紀で一番割を食ったのは歩行者である。うしろでベルが鳴れば脇に避ける所作が染み付いてしまった。
それでも若い内はまだいい。スッと身体が動くから。ご老人にはつらい。下手をするとバランスを崩して転倒しかねない。自活研には時々、ご老人から電話が掛かってくる。歩道上を猛スピードで走る自転車は何とかしてくれ、怖くて街を歩けないじゃないか。とにかく自転車が縦横無尽に歩道を走り回る状況を変えて欲しいとおっしゃるのだ。

事実ご老人たちが家に引きこもるとロクなことがない。お金と時間を持っているご老人たちには元気に外へ出てお金と時間を使い、身も心も健康でいてもらわないと。1,000兆円を突破した貯蓄の大半を握ったまま家で寝ていられたのでは経済もスムーズに回らない。そのためには、ご老人たちが安心して歩いて暮らせる街にしなくてはいけない。

日本人が若くて元気だった頃に設計された施設、例えば歩道橋は歩行者が事故に遭わないよう(クルマの邪魔にならないよう?)に整備されたが老朽化が進み「疲れるから」と使われなくなったため各地で撤去が相次いでいる。この半世紀で一気に高齢化が進んだ日本。制度も施設も現状とそぐわない部分は順次刷新すべきだが、実際問題としては優先順位を付けて、ひとつずつ片付けて行く必要がある。

道交法の条文は変わらない

 断っておくが、昔も今も法律上で自転車は原則として車道通行のまま変わっておらず、現場の運用として歩道へ誘導するというダブルスタンダードでやってきた。歩道通行を道交法の例外として認め、市民に自転車は原則として歩道通行なのだと勘違いさせたのは当時の官僚たちのミスリードだが、旧建設省OBのひとりが「良かれと思ってやったが、あれは愚策だった」と新聞紙上で謝罪したから水に流す。

今さら歴史は覆せないから、やってしまったことは許そう。
人間は神様ではないから間違いは起こすものだ。それを責めるより、これから将来に向け改めて全体最適を目指す施策を考える必要がある。ところが全体にも色々あって、自転車ユーザー全体と捉えると方向を間違える。この稿では交通参加者全体を指しており、クルマのドライバーはもちろん、歩行者も含まれる。つまり先述のご老人たちの声にも耳を傾けなければならないことになる。

また、以前この稿で紹介したが、目の不自由な方々からも自転車は車道を走って欲しい、歩道に自転車を停めないでと懇願されている。彼らの白い杖は目の代わりだ。体重を支えるためではなく、身体の前で振って障害物がないか確認しながら進む。ところが人と人の間を縫って走る自転車に何本も折られて困っている。折っておいて「どこ見て歩いているんだ」などと罵倒する輩がいると聞き、呆れて言葉を失った。目が見えないから杖を頼っているのに、杖を折られてしまったらもう一歩も歩けない。詫びるどころか逆上するとはひどい話だ。

目が不自由な人にとって、自転車は脅威と感じる場面もある

目が不自由な人にとって、自転車は脅威と感じる場面もある

少なくとも歩道上で自転車は交通強者であって弱者ではない。車道上においても、ルールを無視して右側を逆走したり、赤信号を堂々と無視したり、自分勝手な運転をしてクルマに急ブレーキを踏ませる自転車を交通弱者とは呼べない。単なる迷惑者だ。以上の勘違い野郎はともかく、ルール通りに車道の左側を走る自転車を守るために段階を追って環境を整備する。0か100かにこだわらず、1mmずつでも進めていく。いつか全員が車道を走ってくれると信じて。

これから国を挙げて取り組む

 なぜ今になって、警察庁と国交省が縦割り行政の垣根を越えてタッグを組み、1970年代から続けてきた大方針を転換してまで自転車の走行空間を本来の車道に戻そうとしているのか考えてみてほしい。

実は平成11年11月11日に第二次小渕内閣で高齢化の進む中、歩道を安心して歩いて暮らせるコンパクトシティを目指すという方針を閣議決定している。
それから18年経った今、都会の若い人たちを中心にクルマ離れがすでに始まっている。いよいよ人口も減り始めた。徐々にクルマの数は減るだろう。必要な場所に適切なインフラを整備して安全で快適な自転車の走行空間を創出すると共に、ドライバーたちへの教育も進めていくことになる。すでに3割もの事故抑制効果を上げているゾーン30区間に加え、ハンプなど物理的デバイスも積極的に採用していくべきだ。

欧米のスクールゾーンや住宅街ではハンプの設置が当たり前

欧米のスクールゾーンや住宅街ではハンプの設置が当たり前

1970年代には欧州各国でも交通戦争が起きたが、自転車を歩道へ上げずにドライバーの教育と自転車の空間整備を地道にやってきた。日本は回り道をした分おくれを取ったが、ようやく国が本腰を上げて取り組もうとしている。国の自転車計画も来年には出てくる。

2020年東京オリンピック・パラリンピックまでが最大のチャンスだ。限られた時間と限られた予算の中で、最優先事項を決めて確かな一歩を踏み出したい。真の交通弱者を思いやり、権利を主張するだけでなく義務を果たすようになれば、きっと自転車の未来は明るいものになるはずだ。

=以上=

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Written by FRAME編集部

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