初めて中華人民共和国を訪問
3月下旬に中国の天津市で開催された自転車ショーの見学と同時開催される国際シンポジウムに参加できる機会を得て、初めて中国を訪問してきた。年度末に加えて行事が目白押しだったが、天津自転車協会ご招待という滅多にないチャンスなので2つ返事で行くことにした。羽田から北京に飛び、そこからクルマで天津市まで移動するというので、天津市内のみならず北京郊外の道路事情も見ることが出来るではないか。仲間内に北京を何度か訪問した方がいて、彼の国の自転車走行空間は一見の価値があると散々聞かされてきたから一挙両得と喜んだ。鉄分多めな筆者としては中国新幹線に乗りたい気持ちも残ったが、今回は滞在期間も短いゆえ専門の道路交通に特化して視察することに決めた。
北京に着いて、まず驚いたのはクルマのクラクションがうるさいこと。何かあればすぐ鳴らす。その点日本は静かだから、たまに鳴らされるとビックリするし頭に来る。あれだけ頻繁に鳴らされると慣れてしまい、自転車に乗っていて鳴らされても頭に来ないのではと思ったほどだ。
若い国だということが分かった
ミニバンで天津まで送ってくれた金髪中国人兄ちゃんの運転もそうだったが、ウィンカーなしで車線変更をするのは序の口で中国の車道は文字通り弱肉強食。一言で言えば運転が荒い。鼻先を突っ込んで割り込むのが当たり前で、怖くてとても運転できそうにない。案の定事故も多いそうだが、当事者同士の話し合いでは非を認めた方が負けらしく双方が「自分は悪くない」と主張する。この辺りは周辺国との境界線交渉でもうかがえる基本姿勢のようだ。昔から隣国と領土を争って勝ち取ってきた大陸人らしいと言うべきか。一緒に行った自活研の小林理事長が周りのクルマを見て、どれも若い人が運転していると指摘したように日本で多い高齢ドライバーが少ない。若いからできる運転なのか、とにかく車間距離ギリギリで車線変更するクルマが多い。小林さんによると昔の日本もそうだったらしい。今や、中国は日の出る国となり日本と立場が逆転したのかもしれない。
おそるべし中国の底力
天津では今年の1月からシェアサイクル(共有自転車)を始めたそうだが、数社が参入して約10万台が配備されている。黄色のofo(オフォ)は既に5万台入れたと自社サイトで主張しているし、銀色のmobike(モバイク)も大量に投入されている。緑色の共有自転車の泥除けにはソーラーパネルが設置され、電子錠の施解錠電力を賄っている。とにかくやることが早くて量がハンパない。どこかの国で数千台規模になったと喜んでいるのとは比べ物にならない。ラック不要にしたのもスピード優先だからだろう。官製放置自転車と呼べなくもないが、学生など主に若い人たちが使って生活の一部にしているのを見ると、ドラフト(暫定版)でもいいから世に出して、失敗したら埋める(笑)という彼の国のダイナミズムを感じざるを得ない。閉塞感の漂う日本も、かつては持っていた「失敗してもいい雰囲気」を大いに感じさせられた。
先ほどドラフトと書いたが、mobikeは前後輪とも片持ち、シャフトドライブでノーパンクタイヤ、後輪側はディスクブレーキと高級自転車に仕上がっており乗り心地も悪くない。メンテナンスフリーを目指して戦力外自転車を減らす工夫にも脱帽だ。天津市は海沿いにあり、ほとんど平地なので変速機がなくても大丈夫だが、日本に持って来るなら多少の改良が必要だろう。 最近、駅前に山と積まれたシェアサイクルの写真を載せて中国で始まった共有自転車は民度の低いユーザーが壊しまくるので普及しないだろう的な否定的記事を散見するが、記者が自分の目で見て来てないことがバレバレだ。それくらい現地では実際に使われているし、使いやすいサービスに仕上がっていることは疑う余地がない。ことシェアサイクルに関して日本は中国の遥か後方にあって後塵を拝することすらできない。現地SIMの入ったスマホが無ければ借りられない中国のシェアサイクルだが、ターゲットを割り切る勇気もまた潔い。この点に関しても日本は周回遅れとなっている。
電動自転車が独自の発展を遂げている
訪問中、マイ自転車に乗る人の姿も見掛けたが数は少なかった。これだけ良質で、いつでも安価に借りられる自転車があればマイ自転車は面倒でしかない。乗りたい時に借りて目的地に着いたら乗り捨てる。駐輪場を探す必要もないし、わざわざ取りに戻ることもないから気が楽だ。一部のマニアならば高いロードバイクでも買うだろうが、こだわりのない一般人にとってはシェアサイクルで十分すぎるほどだ。ということでマイ自転車は売れなくなっている。渡りに船でシェアサイクルの注文が大量に入って自転車メーカーは対応に追われている。発注者はIT業界でシェアサイクルの仕組みを作っている若い会社だ。当の自転車メーカーの事業領域は売れないマイ自転車に見切りを付け早々と電動自転車にシフトしている。この電動自転車、日本で認められている電動アシスト自転車とは全く異なるので要注意。スロットルを回せば走り出すタイプで日本では電動スクーターと呼ばれ、公道を走るには免許やナンバープレートが必要となる。中には自転車の原型を留めていない物まであり、天津自転車ショーでは度肝を抜かれる結果となった。
天津自転車ショーは異次元世界
中国を訪問する目的のひとつ、天津自転車ショーの会場で我々が見た光景は異次元世界と呼んでも語弊はないだろう。会場はビートの効いた音楽が大音量で鳴り響き、各ブースではコンパニオンたちがポーズを決めている。看板には自転車ショーと銘打っているのに、多くのブースに展示されているのは一見するとオートバイやクルマばかりなのだから。これには中国独特の事情がある。中国も日本と同じ法治国家なのだが、どちらかと言えば法が後追いで現状を追認することが多いようだ。自転車に関しても普通の自転車から派生して、バッテリーとモーターを搭載した電動自転車が登場した。そもそも原動機付き自転車というカテゴリーがない中国では当局が最初、ペダルのない電動自転車を認めない方針だったようだが、結局ユーザーたちが買った後で外してしまうので付けなくてもよくなった。ペダルを付けなくてもお咎めなしとなったら外観は如何様にでも変えられる。免許やナンバープレートなしで運転できるのだから、普通の自転車に乗るより楽で快適だ。何も大変な思いをしてペダルを漕ぐ必要なんて全くない。かくして中国の自転車は電動タイプが激増した。
そこから電動自転車はさらに驚きの進化を遂げる。北京や天津あたりの冬は非常に寒い。身体が剥き出しだと寒いからシェル(外殻)を装備した電動自転車が登場する。やがてシェルは金属ボディとなり、中身の電動自転車はボディに合わせてパーツ点数が増えた。横一文字のハンドルを残したタイプもあるが、最新型は丸型ハンドルを備えており、かろうじてバッテリーとモーターが搭載されていることで、かつて電動自転車であった痕跡を残すのみ。一見すると軽四自動車にしか見えず、日本では絶対に自転車だと認められない製品が次々に生産されて出荷されている実態に驚いた。
自転車メーカーの工場は今
北京市や天津市は広くて日本の感覚だと県レベルの面積がある。例えば天津市は秋田県と同程度の面積だそうだ。その天津市の郊外にある自転車メーカー愛馬(AIMA)の工場を見学させてもらった。元々は自転車の生産をしていたが現在は電動自転車がメイン。近代設備を導入しており、日本メーカーの工場と比較しても古さを感じさせないばかりか、むしろ新しさすら感じる。海外の有名ブランドからカーボンフレーム生産を受託して製造している部門では大勢の若い女性工員さんたちがカーボンシートを型に貼ってドライヤーで成型する工程を見せてもらったが、人海戦術で多くの工程を分業して進めているのが特に印象的だった。感心したのが検査部門。以前、埼玉県上尾市にあるブリヂストンサイクルの工場を見学させてもらったが、その時に自慢気に紹介してくれた物とほぼ同じ検査装置が置かれて徹底的に品質管理をしているとのことで、愛馬の製品に関しては安かろう悪かろうというイメージが完全に払拭された。
中国視察を終えて
百聞は一見に如かずという言葉をリアルに体験する旅となった。行く前はPM2.5や口に入る物の心配ばかりして発展途上国にでも行く気で身構えていたが、そんなことは初日に忘れてしまうくらい驚くやら感動するやらの充実した3日間となった。日本では偏見によるヘイトスピーチもあるが、実際に行くと長い歴史で培われた底力を感じることになる。近年は日本が文化面でリードして来たかもしれないが、歴史上で日本が教えを請う期間が長かったことを考えると、決して下に見てはいけないと実感した。公称13億人の公民が作り出す内需は、それだけで一大マーケットだ。一人っ子政策から転換したので、さらにポテンシャルが上がるだろう。もちろん色々な問題を抱えた国であることは分かっている。
今回の旅でも残念な光景や堪らない思いをいくつも経験した。ひとつはパブリックスペースでの喫煙だ。天津自転車ショーの会場内でもタバコを吸う人が後を絶たない。喫煙禁止と書かれている場所でも平気で吸う人が多い。路上のゴミも多い。ゴミ箱はあるが数が足りない。諸手を挙げて賞賛できない側面も多く持っている国だが、短所の見当たらない国など無いはずだ。日本と聞くと侍や切腹、富士山、芸者というステレオタイプで語る人が今もいると思うが、中国と聞いて人民服とか自転車の列くらいしか思い浮かばないなら現実は全く違っている。
道路には主にドイツの高級外車が溢れ、新幹線も15分おきに走っている。高速道路は最大で4車線もあるし、サービスエリアにはコンビニやレストランだってある。我々は他国の優れた文化を取り入れ自国で昇華することが得意な国民なのだから、中国からも貪欲に学んで取り入れて昇華させることで何か恩返しできることがあるはずだ。大切なことは目を開けて、しっかり現実を見ること。偏見からは間違った考え方しか出て来ない。国レベルで話し合いを続ける努力が必要だ。そんなことを考えながら帰国の途についた。