2018パリ〜ルーベを振り返って | サガンはいかにして優勝したのか?

4月8日に伝統のワンデーレース「パリ〜ルーベ」が行われた。世界チャンピオン、ペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)の勝利で幕を閉じた今年のパリ〜ルーベであったが、そこにはロンド・ファン・フラーンデレンでの敗北を教訓とした綿密な作戦があった。果たしてサガンは、どのようにして勝利を呼び込んだのか?

変化するレース展開


▲パヴェ区間でシルヴァン・ディリエ(スイス、AG2Rラモンディアル)とともに逃げるペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ) (C)A.S.O.

レースは例年通り、コンピエーニュをスタートしてすぐに始まった。 1980年代までのパリ〜ルーベは、序盤の舗装路はサイクリングペースで進み、後半のパヴェ(石畳)区間が集中するところで勝負が始まるのが常であったが、レースが国際化するにつれて、そして序盤から世界中に国際映像が流れるようになり、スタートしてすぐにアタック合戦が始まるようになってしまったのである。伝統のレースといえども、その様相は時代とともに刻々と変化している。

古くからのレースファンは「ヨーロッパの伝統文化の崩壊だ」と嘆き、新しいファンは「スポーツとしてエキサイティングで良い」と賞賛する。日本でもしばしば「相撲は神事か? はたまたスポーツか?」ということが議論されるが、その辺と事情は似ている。かつてはエディ・メルクスやベルナール・イノーのような絶対君主がいて、「今日は100kmまではサイクリングだ」というと、すべての選手がそれに従ったものだが、今ではそういった選手はいない。また、スポンサー企業からは、優勝できないなら序盤でアタックしてテレビにたくさん映り、スポンサー名をアピールすることが求められる。かくして、レースは序盤から落ち着きなく始まり、多くの落車を誘発し、時に波乱の展開を生むこととなる。

さて、序盤のアタック合戦が一段落し、シルヴァン・ディリエ(スイス、AG2Rラモンディアル)イエール・ワライス(ベルギー、ロット・スーダル)ら9名の逃げが決まったところでレースはやっと落ち着いた。まだルーベ競技場のゴールまでは170kmほど。メイン集団との差は最大8分ほどに広がっていたが、優勝候補のニキ・テルプストラ(オランダ、クイックステップフロアーズ)らを擁するクイックステップフロアーズは、まだレースを静観する構えだった。鉄壁のアシスト陣を誇るクイックステップフロアーズであれば、まだ余裕で追いつける距離だったからだ。

勝負の鍵は序盤にあった


▲昨年の覇者フレッフ・ファンアーヴェルマート(ベルギー、BMCレーシング)。思うようなレース展開に持ち込めない (C)A.S.O.

しかし、この一見無謀とも思えるディリエらの逃げこそ、後にレースの行方を左右することとなるのであった。ゴールまでおよそ50kmを残した地点で集団から飛び出したペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)がディリエらの集団に追いついたのである。この動きの前にアタックを繰り返していたクイックステップフロアーズ勢は、サガンの動きに対応できなくなっていた。ここで勝負は決まった。

ロンド・ファン・フラーンデレンでは、ニキ・テルプストラ(オランダ、クイックステップフロアーズ)の単独の飛び出しを見送ったサガンが勝利を逃したが、今回は完全にその逆となったのである。サガンがディリエとともにスピードを上げると、逃げ集団からはワライスらが脱落し、気がつけばサガンとディリエのランデブーが始まっていた。スイスチャンピオンのディリエは3月30日にフランスで行われたワンデーレース「ルート・アデリ・ド・ヴィトレ」で勝っており、調子が良いことは誰もがわかっていた。しかし、これまでパヴェのレースでは大きな実績を残しておらず、おまけにその時点まで 150km以上も逃げ集団で走ってきたわけであるから、誰もが「すぐにディリエは遅れる。サガンの逃げもそうは続かないだろう」と思ったはずだ。

しかし、この日のディリエは違っていた。もともとタイムトライアルのスペシャリストでもあるディリエが舗装区間でサガンを引き、パヴェ区間では逆にサガンが先頭に立ち、完全な協調体制ができあがったのである。その気になればサガンはディリエをすぐにちぎれたはずである。しかし、少々スピードが落ちても、サガンはディリエを置き去りにはしなかった。サガンのスプリント力をもってすれば、ルーベ競技場のスプリントでディリエには勝てるし、ディリエにしてもこのままサガンと逃げれば2位表彰台が確保できる。利害が完全に一致したわけだ。結果的には、この判断が正しかった。


▲ゴール後、お互いの健闘をたたえ合うペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)とシルヴァン・ディリエ(スイス、AG2Rラモンディアル)  (C)A.S.O.

協調体制ができあがらない後続集団


▲表彰式。優勝・サガン、2位・ディリエ・3位・テルプストラ (C)A.S.O.

サガンとディリエを追ったのは、テルプストラヤスペル・スタイヴン(ベルギー、トレック・セガフレード)、セップ・ファンマルケ(ベルギー、EFエデュケーションファースト・ドラパックp/bキャノンデール)、そして昨年の覇者フレッフ・ファンアーヴェルマート(ベルギー、BMCレーシング)の4人。誰もが優勝候補筆頭に挙がるようなエース中のエースたちである。しかし、エースばかりからなる集団というのは、なかなか協調体制ができあがらないものだ。なかなかスピードが上がらず、サガンとディリエを捉えることができない。勝つことが絶対命題であるエースたちは、焦燥感を募らせるばかりであった。

そろそろサガンとディリエがルーベ競技場にさしかかろうとしている頃、ついにロンド・ファン・フラーンデレンの覇者ニキ・テルプストラが飛び出しに成功する。しかし、時すでに遅し。競技場ではサガンとディリエのスプリント勝負が始まっていた。ディリエが先行し、サガンがスプリントのタイミングを見計らう。おそらくサガンならどこから行ってもディリエを突き放せたはずだ。しかし、最後までいっしょに逃げた仲間に敬意を払い、最後の4コーナーからスプリント。サガンはディリエに対し、大きな差をつけずにゴールラインを越えたのだった。


▲今回のレースは、ディリエの積極的な動きが大きく光った (C)A.S.O.

デビューした頃はやんちゃなイメージのサガンだったが、最近はすっかりチャンピオンらしい風格がついた。個人の能力としては間違いなくナンバーワンなのにそれをひけらかすことはせず、ライバルたちに敬意を払い、インタビューでも言葉を選んで話すようになった。将来サガンは、エディ・メルクスやベルナール・イノーと並び称されるような偉大なチャンピオンとして、自転車競技の歴史に刻まれることになるだろう

なお、アランベールの手前で落車し、心停止状態となっていたマイケル・ホーラールツ(ベルギー、ベランダスウィレムス・クレラン)の死亡が、搬送先のリールの病院で確認された。享年23歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。

▲落車で亡くなったマイケル・ホーラールツ(ベルギー、ベランダスウィレムス・クレラン) (C)A.S.O.

リザルト

【2018パリ〜ルーベ リザルト】257km
1 P.サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)5h54’06”
2 S.ディリエ(スイス、AG2R)
3 N.テルプストラ(オランダ、クイックステップ)+57″
4 G.ファンアーヴェルマート(ベルギー、BMC)+1’34”
5 J.スタイヴン(ベルギー、トレック・セガフレード)
6 S.ファンマルケ(ベルギー、EFエデュケーションファースト)
7 N.ポリット(ドイツ、カチューシャ・アルペシン)+2’31”
8 T.フィニー(アメリカ、EFエデュケーションファースト)
9 Z.スティバル(チェコ、クイックステップ)
10 J.デブッシェール(ベルギー、ロット・スーダル)

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WRITTEN BY仲沢 隆

仲沢 隆 自転車ジャーナリスト。早稲田大学大学院で、ヨーロッパの自転車文化史を研究。著書に『ロードバイク進化論』『超一流選手の愛用品』、訳書に『カンパニョーロ −自転車競技の歴史を“変速”した革新のパーツたち−』がある。

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