「ツール・ド・フランス Tour de France」ってどんなレース?ジャーナリストが徹底用語解説
マイヨジョーヌを賭けた23日間の戦い
ツール・ド・フランスとは、毎年7月、およそ20日間かけてフランスで開催される自転車のステージレース。その名の通りフランスを一周するレースで、コースは毎年変更される。またベルギーやオランダ、ドイツ、イタリア、スペインなどの隣国がコースに組み込まれることもしばしばで、2017年の大会もドイツのデュッセルドルフからスタートする。総走行距離は3000km以上におよぶ(今年は23日間で3516kmを走る)。第1回大会は1903年で、100年以上の伝統を誇る。主催するのは、スポーツ紙「レキップ」を発行するアモリ・スポル・オルガニザシオン (ASO, Amaury Sport Organisation)。
ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャとともに「グランツール」と呼ばれるが、その規模、人気、知名度は他のレースを圧倒的に凌駕する。そのため、しばしば「世界最大の自転車レース」と表現される。事実、そのテレビ中継の規模、観客動員数、運営に必要な人数、集まるプレスの数、かかる費用の大きさなどは、オリンピックやサッカーのワールドカップと肩を並べるほどだ。日本でも他の自転車レースにはまったく興味がないのに、ツール・ド・フランスだけは毎年かならずテレビ観戦するというファンが多数存在する。
選手にとっても、ツール・ド・フランスは「一度は走ってみたいレース」の筆頭である。プロの自転車選手のすべてが、ツール・ド・フランスで活躍することを夢見ているといっても過言ではないだろう。出場資格を持つのは、18あるワールドツアーチーム。その他、主催者のワイルドカード枠で4つのプロコンチネンタルチームが出場する。そのため選手によっては、大きなワールドツアーチームに所属する実力があるにもかかわらず、あえてツール出場の可能性が高いプロコンチネンタルチームに所属し、確実にメンバーに選出されることを狙う者もいるほど。
最多優勝記録は5回で、ジャック・アンクティル(フランス、1957、1961、1962、1963、1964年)、エディ・メルクス(ベルギー、1969、1970、1971、1972、1974年)、ベルナール・イノー(フランス、1978、1979、1981、1982、1985年)、ミゲル・インドゥライン(スペイン、1991、1992、1993、1994、1995年)の5人が達成している。ランス・アームストロング(アメリカ)は1999、2000、2001、2002、2003、2004、2005年と7連覇したが、後にドーピングが発覚してすべての優勝記録が剥奪されている。
例年、前半には平坦ステージが続き、スプリンター達の競演が繰り広げられる。その後アルプス、ピレネーの2大山脈(順番は年によって変わる)を通過し、最後はパリ・シャンゼリゼにゴールするというのが恒例だ。2017年は1992年以来25年ぶりにフランスの5つの山脈(ボージュ、ジュラ、ピレネー、中央山塊、アルプス)をすべてコースに盛り込んでおり、山岳ステージでの争いがいっそう面白くなりそうだ。また、平坦ステージ、山岳ステージのほかにタイムトライアルのステージが2つほど配され、タイムトライアルのスペシャリストたちがそのステージ優勝を狙う。
代表的な賞は、次の4つである。
個人総合時間賞(マイヨジョーヌ)
ポイント賞(マイヨヴェール)
山岳賞(マイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュ)
新人賞(マイヨブラン)
最も栄誉があるのが個人総合時間賞で、その時点で総合トップにいる選手は「マイヨジョーヌ」と呼ばれる黄色いジャージを着る。シャンゼリゼでそのジャージを着ている選手が総合優勝というわけだ。またスプリンターにとってはポイント賞のマイヨヴェール、クライマーにとっては山岳賞のマイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュも非常に価値の高いものである。新人賞の白いジャージ、マイヨブランは前述の3つのジャージと比べると影が薄いが、無名の若い選手が名前を売るためにこれほど適したジャージもないので、やはり例年、その獲得に向けて熾烈な戦いが繰り広げられることに変わりはない。
これまで出場した日本人は4人いる。川室競 は1926年と1927年の2回出場したが、いずれも第1ステージでリタイアしている。その後長らく日本人の出場はなかったが、イタリアのプロチーム「ポルティ」に所属していた今中大介が1996年に日本人として近代ツール初出場を果たした(第14ステージでリタイア)。そして、新城幸也は2009、2010、2012、2013、2014、2016年と6回の出場を果たし、そのすべてで完走を果たしている。また、別府史之も2009年に出場し、完走を果たしている。今年も新城が出場を決めている。