iruka開発秘話|10年かけて実現させた「大人の将来の夢」

2019年、シャープなルックスで誕生したirukaという折りたたみ自転車。存在感のあるトップチューブの大きなスリットがコンパクトさと剛性を共存させ、新幹線の座席にも置けるサイズながら本格的な走りを見せる。販売開始から順調な売れ行きで、すでに販売エリアは日本全国へ拡大されようとしている。
華々しいデビューの裏側で、誕生までにかかった10年の苦節とは。ハードルと打破を繰り返して産まれたirukaの背景に迫る。

まったく新しい折りたたみ自転車「iruka」

irukaの特筆すべき最大の特徴といえば「ジャックナイフフレーム」。ネーミングもさることながら、まずは見た目のインパクトに驚かれよ。

iruka最大の特徴 "ジャックナイフフレーム"。なめらかなアーチ形状に、後輪を収めるための大胆なスリット。随所に機能美が宿る。
そう、トップチューブに大きくスリットが入っている。何のため?

トップチューブに大きくスリットが入っている。
乗車したらトップチューブの間から地面が覗く……新鮮!

折りたたみ時の高さ50cmをきる低身長を実現

トップチューブにある大胆かつ美しいカッティング。折りたたむと、ここに後輪がスッと収まる。高さ50cmをきる低身長を実現したこの折りたたみ自転車、これまでできなかったことを可能にし、自転車とのライフシーンを広げてくれる。

一般的な事務机ならデスク下に収納できるし、新幹線の自席に置くことだってできる。

折りたたんだときの高さは48cm。一般的な事務机ならデスク下に収納できるし、新幹線の自席に置くことだってできる*。

*)日本のほとんどの鉄道路線では、列車内へ自転車を持ち込む際は輪行バッグに完全に収納する必要があります

“モバイル変身自転車”と銘打たれたiruka。「ラン」「ウェイト」「ウォーク」「スリープ」の4形態へのトランスフォーメーションが可能。

irukaをもっと知る。気になる折りたたみ機構やスペックはこちらから。

人生を賭けた2度目の起業、折りたたみ自転車という選択肢

本稿ではiruka完成までの背景に迫る。話を聞いたのはirukaの生みの親、株式会社イルカの創業者/代表取締役である小林正樹氏。

前職の株式会社オプト(現株式会社オプトホールディング)と現株式会社イルカと、2度の起業経験を持つ小林氏。写真は今年5月に同氏が登壇したセミナーにて。
前職の株式会社オプト(現株式会社オプトホールディング)と現株式会社イルカと、2度の起業経験を持つ小林氏。写真は今年5月に同氏が登壇したセミナーにて。

小林氏のプロフィールを簡単に記すと、静岡県生まれ。慶応大学を卒業後、森ビル勤務を経てインターネット広告代理店である株式会社オプトの創業メンバーに参画。取締役CFOとして財務を中心とした管理部門全般、上場準備責任者などを担当した。
2008年に同社を退社したのち、株式会社イルカを立ち上げた。もう一度ゼロから起業して、人生を賭けるに値するチャレンジこそ「折りたたみ自転車」だった。

「折りたたみ自転車、すごく走るじゃん!」

小林氏(以下、小林さん)が自転車の世界に入るようになったきっかけは、オプトがジャスダックに上場した2004年のこと。結婚、引越しを機に自転車通勤を始めてみようかと思い立ったという。

通勤のパートナーとなる自転車を探す中、目を引いたのが折りたたみ自転車。当時、赤坂見附のオフィスには駐輪場がなかった。折りたたみ自転車なら社内に持ち込めるから、盗難や撤去の心配も不要だ。

赤坂見附の外堀通り。都会での自転車通勤には駐輪場問題がつきもの
赤坂見附の外堀通り。都会での自転車通勤には駐輪場問題がつきもの

単純に「合体ロボみたいで面白い」とも感じていた小林さんは、何種類かのモデルを試乗したうえで一番フィットした自転車を購入した。

小林さん「最初、車輪が小さい折りたたみ自転車って、遅いと思い込んでいました。でも実際に乗ってみると『すごく走るじゃん』と感じた。自転車通勤を始めて、都心での移動はもっぱら自転車、ときには電車や飛行機を利用して輪行もするようになりました」

先のセミナーにて。当時の自転車がモニターに映し出されている。
先のセミナーにて。当時の自転車がモニターに映し出されている。

自転車って凄い。そう思うようになった小林さん。
老若男女の誰でも乗れて、免許がいらない。環境にもいいし、経済的で速い。5km圏内の移動は自転車が一番効率が良いという調査結果もある。都心に半径5kmの円を描くと、だいたい山手線が収まる距離だ。つまり自転車は都心最速と言っても過言ではない。

小林さん「あとは楽しいですね。やっぱり通勤って退屈じゃないですか。単なる移動でしかなかった電車での通勤が、自転車に替えたら毎日楽しみになった」

写真はirukaのコンセプトイメージ。空気の流れを感じながら朝から爽やかに通勤……リフレッシュ効果、想像以上。
写真はirukaのコンセプトイメージ。空気の流れを感じながら朝から爽やかに通勤……リフレッシュ効果は想像以上。

「自転車を漕いでいる間って、すごく考えがまとまるんです。科学的に諸説あるのですが、サドルの上ってサードプレイスだなって」

ただ、もちろん自転車にも弱点はある。

小林さん「長距離・標高差・悪天候、この3つには自転車は弱い。でも折りたたみ自転車なら他の交通機関と組み合わせて使うことで、その弱点さえもカバーできます。これはとてつもない乗り物だなあと」

新たな夢は突然に。バラバラの思考が繋がった瞬間

すっかり折りたたみ自転車にハマってしまった小林さん。転機は2006年に訪れた。オプトの役員合宿で「将来、何をやりたいか」というアジェンダがあった。何を喋ろうかと思い巡らせ、テニスの全日本ベテランに出たいとか、世界中の海でボディボードをしたいとか、キーボードに打ち込んでいく。そして、ふと「自転車ブランドを作りたい」と書いてエンターキーを押したときに、すべてが繫がった。

クルマより自転車がカッコイイ社会。理想の折りたたみ自転車の追求。もう一度ゼロからの起業、世界を相手にしたビジネス。 漠然と思い描いていたイメージがカチッとハマった瞬間だった。(写真はイメージ)
クルマより自転車がカッコイイ社会。理想の折りたたみ自転車の追求。もう一度ゼロからの起業、世界を相手にしたビジネス。漠然と思い描いていたイメージがカチッとハマった瞬間だった。(写真はイメージ)

小林さん「自動車より自転車が好まれるようになったら、いい社会になるのではないか。折りたたみ自転車ってマイナーだけど、もっとポピュラーになったっていいのではないか。でも、最高の折りたたみ自転車ってないな、と」
「オプトの上場に貢献はしたと思うのですが、すべてを一人で行なったわけではない。僕一人でゼロからやったらどうなるのかな、と思っていました。今の経験と知識で起業して、世界を相手取ってどこまでやれるだろうか、と」

オプト時代、伸び盛りの会社で忙しく充実した日々を送りながらも、定年まで居座るつもりもなかったと言う。「人生を賭けるに値する何かが見つかったら、いつでもやめるつもりでいた」
オプト時代、伸び盛りの会社で忙しく充実した日々を送りながらも、定年まで居座るつもりもなかったと言う。「人生を賭けるに値する何かが見つかったら、いつでもやめるつもりでいた」

「折りたたみ自転車に人生を賭けてみよう」。もとより求めていた新しいチャレンジを見つけたそのとき、小林さんはオプトを辞めることに決めた。

苦難の10年、結果としての10年

その後CFOの後任を探しつつ、Googleで見つけ出したプロダクトデザイナーと「iruka」のプロジェクトを開始する。

理想の折りたたみ自転車を追求した課題と解決ステップはこちらから。iruka最大の特徴 “ジャックナイフフレーム” のインスピレーションとなったあるものとは?
→「既存の折りたたみ自転車が満たしてくれない3つの課題

難航する製造パートナー探し

アイデアをもとに基本的な設計をまとめ、製造パートナーを探しに台湾に飛んだ小林さん。日本は90年代までは一大自転車生産国だったが、その後、中国や台湾にコスト競争で敗れ、いま自転車製造工場はないに等しい。ブリヂストンサイクルやパナソニックなど一部のメーカーの自社工場があるぐらい。残念ながら日本では量産できない状態だった。

小林さん「まず、競合ブランドの製品をOEMで作っている有力な工場に乗り込んだんです。僕には自信があって、絶対に『やらせてくれ』と言われると思っていた。でも現実は、全然話が進まなかった」
「こういう新開発の製品って工場からすると時間と労力、つまるところお金がかかるんですね。あとは設計図のデータしかなくて、見本がなかった。モノ作りってこういうことだなと実感したのですが、実物を触らないとダメなんですね」

設計図では伝わらない、知覚に基づいた写像がある。(写真はイメージ)
設計図では伝わらない、知覚で得られる写像が必要だった。(写真はイメージ)

そこで2010年、日本の工房で鉄製のラフなスケルトンモデルを制作。それを持って今度は中国の工場を回るようになったが茨の道は続く。

興味を示した工場もあったが担当者が辞めてしまったり、試作を『いまからやる』と言われても蕎麦屋の出前よろしく全然進捗がなかったり、試作をしてくれても『注文が多過ぎる。細か過ぎる。要求が厳し過ぎる』とギブアップされたり……そんな状態が7年も続いた

小林さん「工場巡りを続けていくうち、中国も人件費が上がって、相対的に台湾のほうが安くなったんです。中国を諦めて台湾に舵を切るも、手を組んでくれる工場は見つからなかった。いっそのこと自分たちでサプライチェーンを立ち上げて、各工場に個別に部品を発注し、日本で組み立てるしかないかと準備を始めていたんです」
「そうしたら、知人の紹介でたまたま台中の工場の社長と出会うことができた。社長自身がエンジニアでもあって『俺がやろう』と。そこで試作を重ねました。修正点はまだたくさんありましたが、2018年に金型が完成して、2019年に量産できるような態勢になったんです」

「絶対にできる」10年を支えた信念

会社を立ち上げて10年余り。それは工場探しの年月に費やした時間が大きい。しかし逆に捉えると、製品のブラッシュアップができたとも言える。小林さん自らが「欲しい」と思える折りたたみ自転車の実現に至ったのだ。

小林さん「僕もこんなに時間がかかるとは思いもしなかった。よく『辞めようと思わなかったですか?』と訊かれるけれど、そうは思わなかった。ブログやフェイスブック、ツイッターで発信し続けてきたから、辞めるわけにもいかなかった。ただ時間をかければ絶対にできると思っていました」

そして今、有言実行となってirukaがデビューを果たした。目を惹くフレーム構造は、自転車に詳しくない人でさえ思わず興味が湧いてしまうだろう。
そして今、有言実行となってirukaがデビューを果たした。特徴的なフレーム構造は、自転車に詳しくない人でさえ思わず興味が湧いてしまうだろう。

irukaのもくろみ、irukaのこれから

本格スポーツサイクルとしての折りたたみ自転車。ダホン、バーディ、ブロンプトン……競合ブランドがひしめきあい、業界は成熟しているようにも思える。そこに「iruka」を投入して、果たして勝ち目はあるのだろうか?

小林さん「ハイエンド折りたたみ自転車としてはイギリスのブロンプトンがナンバーワン。1970年代から続く長い歴史があり、ブランド力も強い。ただ、折りたたみ自転車の愛好家は一台だけでなく複数の車種を所有する『多頭飼いオーナー』が多いんです。irukaもまずはそうした愛好家の『多頭飼いの一台』として買われるケースが多いでしょう」
「ネットリサーチで東京在住の30-40代男性に自転車ブランドの知名度調査を行ってみたところ、ブリヂストンサイクルの83%、ジャイアントの31%に対してブロンプトンは11%しかない。つまりハイエンド折りたたみ自転車はまだまだニッチな存在ということです。他ブランドと競合するというよりは、共にマーケット全体を大きくしていきたい。その中で、ちょっととんがった、他人と違う一台が欲しいという人たちにirukaを持ってもらえたらいいなと思っています」

確かに所有欲をくすぐるルックス。
確かに所有欲をくすぐるルックス。
折りたたみならではの「からくり」感もいい。
折りたたみならではの「からくり」感もいい。

CFOを務めたオプト時代に、「フォーカスとビジョンの大切さを学んだ」とも言う。

小林さん「irukaとはこういう自転車だ、というイメージを確立するため、まずは車種もスペックも一種類、カラーもシルバーのひとつでいきます。また、ハイエンド製品は機能性だけでなく世界観やストーリーが大切ですから、公式サイトには開発ストーリーやビジョンを詳しく書いています。そこは照れずに発信しないとダメだと思って」

ウェブサイトのドメインは「iruka.tokyo」。あえて東京から発信することを意識したこだわりのブランドが、どう成長するか? 今後の課題はまだまだ残る。

まとめ

無事「iruka」が発売され、様々な祝辞が小林さんに届けられた。しかし、小林さんの心情はいま「ビビっている」のだとか。10年かけて作って売れなかったら「めっちゃカッコ悪い」と言う。
価格は21万2,800円(税抜)で、競合ブランドのハイエンドモデルとほぼ同様だ。東京と横浜の都市部9店舗で販売された初回入荷分も間もなく完売。次回入荷分からは名古屋・京阪・福岡まで販売エリアが拡大され、その先にはもちろん海外展開も視野に入れている。
株式会社イルカのビジョンは「ベンツより自転車に乗る方がイケてるといわれる社会は今とはきっと少し違う」。自転車に乗り始めて環境、街の景観、都市交通などの問題意識が高まったが、一番は「楽しいからというポジティブな理由で、多くの人が自転車に乗るようになればいい。それが結果として社会にプラスになる」という志が込められている。小林さんは「理屈抜きで、カッコいいから乗りたいよねって思われるような自転車を作るのが僕の使命」と話す。まるでジェットコースターのような人生を歩んでいるが、完成を果たした「iruka」はその使命の幕開けだ。

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WRITTEN BY増渕俊之

出版社勤務を経て、フリーランスの編集/ライター。編著に『これがデザイナーの道』『自転車ファンのためのiPhoneアプリガイド』『岡崎京子の仕事集』がある。現在、編集を手がけた岡崎京子の単行本『レアリティーズ』が発売中。

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