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スウェーデンからネパールまで1万3,000km自走、エベレストに登頂した男

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「命知らずのスウェーデン人」ゴラン・クロップ


(C)KROPP CHALLENGE

自転車で1万km以上走ることもかなりの冒険だが、これに世界最高峰のエベルスト登頂を組み合わせるとなると、想像の上を行く挑戦だ。これを1996年にやってのけたのが、スウェーデン人の登山家・冒険家のゴラン・クロップさん。

スウェーデンから自転車でネパールまで13000km走り、無酸素、シェルパなしでエベレストに単独登頂。下山後、また自転車で帰路についたとか。そこで付いたあだ名が「クレイジースウェード」(クレイジーなスウェーデン人の意味)。日本ではあまり知られていない彼がどんな冒険に挑戦したのかを見ていこう。


▲パキスタンからネパールへ走る(画像出典:Elite Readers)

スウェーデンからエベレストを目指す

スウェーデンからネパールまで走る。エベレストに登る。1つだけでも大変なのに2つを組み合わせたクロップさんの苦労は並大抵のものではなかったようだ。

まず、彼が用意したのはトレーラーを装着した特注の自転車。これに合計108kgの装備と食料を積んで、1995年10月にネパールを目指してストックホルムを出発した。

スウェーデンを出発した後は、トルコ、イラン、パキスタン、インドを走り続け、ネパール国内のベースキャンプに到着したのは6ヶ月後の1996年の4月だった。


▲トルコからネパールへ走る(画像出典:Elite Readers)

ネパールまで13,000km走り切るのも大変なことだが、クロップさんにとっては本番はここから。自転車を降りたら、いよいよエベレスト登頂への挑戦。しかも最もむずかしい単独登頂を選んだ。

クロップさんが挑戦した当時、酸素マスクを使って登頂に成功した人は何百人もいたが、酸素マスクなしでの単独登頂はほんの数人だけしか成功していなかった。ところが、クロップさんは「酸素マスクなし・シェルパなし・テントや食料をすべて自力で運ぶ」という登頂方法を選択。13,000kmの自走といい、自力での単独登頂といい、「クレイジースウェード」のニックネームにふさわしい挑戦だった。

しかし、クロップさんは単に無謀な冒険家でなかった。1回目の山頂アタックでは残り100mの地点で時間切れとなったため、撤退。そのすぐ後に大量遭難事故が発生し、彼の判断が正しかったことが証明された。

1回目のアタックから3週間後にもう一度チャレンジし、今度は無事に山頂にたどり着いたのだ。


(画像出典:Elite Readers)

エベレストから下山後は、行きと同じく装備をトレーラーに載せて自走して帰ったが、さすがに帰りは13,000kmをすべて自走した・・・わけではないようだ。

この冒険にあえて自転車で行くチャレンジを行ったのは「人々も自然も尊重せずに山を利用し始めたすべての商業探検に対する静かな抗議」だと、後にクロップさんは述べている。

ゴラン・クロップさんて、どんな人?

さて、自転車や登山で驚くような挑戦を続けたクロップさんだが、どんな生い立ちなのだろうか?


(C)KROPP CHALLENGE

クロップさんは、1966年12月にスウェーデンのヨンショーピング市に誕生。6歳のときにお父さんに連れられて、ノルウェーのガルフピッケン(2,469m)に登ったのが登山に目覚めるきっかけだった。学校を卒業した後は、スウェーデンのパラシュート部隊で訓練を積み、世界的な高山への登頂を開始。

初めて有名な山に登ったのはタジキスタンのレニンピーク(7,134m)で、その後、エクアドルのイリニサ(5,248m)、コトパクシ(5,897m)、ボリビアのイリマニ(6,438m)などを制覇している。

1996年には世界最高峰のエベレスト単独登頂に成功した後は、北極点へスキーで到達するという冒険、またフィアンセといっしょにゴミを回収しながらもう一度エベレストに登頂したりも。


(画像出典:Elite Readers)

2002年にはフィアンセといっしょに米国シアトルに移住し、新しい冒険に挑戦する準備を開始。この挑戦は、スウェーデンから南極のマクマード基地までヨットで航海し、南極点までスキーで往復した後、スウェーデンにヨットで戻るというものだった。実現すれば、これも記録と記憶に残る大冒険となるはずだった。

突然の最期


(C)KROPP CHALLENGE

素晴らしい冒険に挑戦し続けたクロップさんだが、残念ながら大冒険に挑戦する前、移住したアメリカで最期を迎えた。

ワシントン州でロッククライミングをしていたところ、装備が岩から外れ、60m落下し、その衝撃で死亡。2002年9月のことだった。

まだ35歳であり、冒険家としてまだこれからという年齢。彼は冒険だけではなくチャリティー活動も行っており、ネパールに生徒が165名、先生が8名の規模の小学校を設立したばかりだった。また、”Around-n-Over”というNPO法人を設立し、人間の力を使って旅行するための啓蒙活動も行っていた。

彼の成し遂げたさまざまな挑戦が色褪せることはないだろう。実際、クロップさんの死後、彼のパートナーであるレナータ・チュラムスカさんが「クロップ・チャレンジ」という試みを行っている。チャレンジに登録後、自己責任でスウェーデンで一番高い山、もしくは他国で一番高い山に自転車で行き、その山にある道の果てまで登る、というもの。登録料はネパールにクロップさんが設立した学校へ寄付される仕組みだ。

「自転車と自らの足で、できるだけ遠く高くへ」というのが、最もクロップさんがこだわったところ。今後、このチャレンジで新しい冒険に挑戦する人はクロップさんの足跡から多くのことを学び、自分の挑戦に活かすことだろう。


(画像出典:Elite Readers)

Top photo(C)KROPP CHALLENGE

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